お参り巡礼:若江鏡神社

お参り巡礼

こんにちは!
やすながひろきです

今回は大阪府東大阪市に御鎮座する若江鏡神社さんです

若江鏡神社:御由緒

創建年代は不詳ですが、延喜式神名帳のほか文徳実録(六国史)にその名があることから、創建から1200年近く経つ古社であることが伺えます
大坂夏の陣のさい社殿や多くの宝物が残念ながら焼失してしまいました

若江鏡神社さん:御本殿1

現在の本殿は文政11年(1828年)に再建されました
再建された本殿は三間社流造さんげんしゃながれづくりとなっていますが、実際には一間社流造の二棟の間に相殿を入れて連結させた珍しい遺構となっています

若江鏡神社さん:御本殿2

増築された拝殿の奥に御本殿を見ることが出来ます
御本殿は昭和49年3月25日に東大阪市文化財に指定されました

また若江鏡神社さんには600巻にも及ぶ箱入りの大般若経が所蔵されています
元禄11年(1699年)に社に奉納され、雨乞い祈願のために転読されていたことがわかっています
神社に奉納され雨乞い祈願に使用されたことから稀有な例として貴重なものとなっています
こちらも昭和49年3月25日に東大阪市文化財に指定されました

御祭神

大雷火明大神おおいかづちほのあけのおおかみ
御由緒によれば大雷(荒魂)と火明命を尊んで称したもので非常に強力な霊力と建築技術や造船・医療・精錬・採鉱・武力等を備えた大部族の長です

火明命は日本書紀では瓊瓊杵尊ににぎやのみことを父に木花之開耶姫このはなさくやひめを母に持つ神さまです
また播磨国風土記では大汝命おおなむちのみことの御子として荒々しく描かれており、他方で丹後国風土記ではある領地を治めるように大穴持命おおなむちのみことと少名彦命すくなひこのみことに詔されて大変喜んだことに由来して領地の名が志楽の国となったと描かれています

若江鏡神社さんで祀りされる大部族の長の方は【火明命】を厚く信仰していたのでしょうか
自身の部族や地域のために尽力されていたのかもしれませんね

【仲哀天皇】
仲哀天皇は第14代天皇で足仲彦命あしなかひこのみことの御神名を持ちます
生活の安定にご利益があるとしてお祭りされています

【神功皇后】
神功皇后は仲哀天皇の皇后で息長足姫命おきながたらしひめのみことの御神名を持ちます

若江鏡神社さん:境内

境内には末社として
・皇大神宮社
・塚本稲荷社
・熊野権現社

・八雲歓喜天社・・・御神木の巳さんを祀る
・水神社
・御縁地蔵社

以上がお祀りされています

【鏡塚】
本殿北側に【鏡塚】と呼ばれる塚があります
神功皇后が朝鮮半島に出征する際に必勝祈願として鏡を埋めて塚を築きました
かつては【塚本大明神】と称されていた記述もあり大変重要な場所でした

【雷の手形石】
本殿前の中庭にある奇石です
雷が誤ってご神前に落ちてしまい、神さまの怒りを受けて天上に帰ることが出来なくなった雷が、許しをもらうために二度と落ちないことを約束して手形を残したと言う石です
ようやく許してもらい無事に天上へと帰りました
本殿前のご神前にあることから祭祀に使用されたのか、大事なものを埋めていたのか、詳細は不明です
雷よけ・自然災害除けのご神徳をいただけます

最後に

御祭神はご神名を冠する大部族の長と言うことで地域住民の方々から広く信仰されている神社でした
また若江鏡神社さんにゆかりの深い神功皇后は安産祈願の神さまとして厚く信仰されています

若江には若江城という平城が河内国の守護である畠山基国氏の時代に築かれていました
織田信長公が石山本願寺に攻め入るときに若江城に拠点を置いた歴史もあります
現在では【旧若江城跡】と石碑を残すばかりとなっています

鏡神社付近の街並みは住宅と農地が広がる閑静なものとなっていますが、だんじりは迫力のあるものになっています
地域住民の憩いの場にも成っている様子が備え付けられた境内のベンチにも見られます
他方で雷石の伝説や必勝祈願の鏡塚・大坂夏の陣の焼失と復興など一筋縄ではいかないような歴史を感じる神社でした

やすながひろき

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